大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 昭和50年(ワ)2637号 判決 1977年3月22日

主文

一  被告の原告に対する大阪法務局所属公証人椎村透作成昭和四九年第三二二〇号建物賃貸借契約公正証書に基づく強制執行は昭和五〇年二月分賃料のうち金六四万一、九三五円をこえる部分については、これを許さない。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを六分し、その五を原告の、その余を被告の負担とする。

四  本件につき昭和五〇年六月六日当裁判所がなした強制執行停止決定は金六四万一九三五円をこえる部分に限りこれを取消し、その余の部分はこれを認可する。

五  前項に限り仮に執行することができる。

事実

第一、当事者の申立

一  請求の趣旨

1  被告の原告に対する大阪法務局所属公証人椎村透作成昭和四九年第三二二〇号建物賃貸借契約公正証書に基づく強制執行は許さない。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二、当事者の主張

一  請求原因

1  原、被告間には、原告を賃借人、被告を賃貸人とする請求趣旨記載の建物賃貸借契約(以下本件賃貸借という)公正証書(以下本件公正証書という)が存在し、右公正証書には

(一) 賃料は月金七八万円と定め、毎月末日限り翌月分を先払いすること

(二) 原告は本貸借の保証として敷金二〇〇万円を被告に交付し、被告はこれを受領した。

(三) 原告において一回でも賃料の支払を怠つたときは被告は催告なくして本契約を解除することができる。

(四) 原告が本証書の一定金額の支払債務を履行しないときは催告を要せず直ちに強制執行を受けることを認諾する。

との記載がある。

2  しかし、本件公正証書は訴外延澤義郎が被告会社代表者谷澤栄一と称して作成を嘱託したものであるから、公証人法三二条に違背し無効である。

3  被告は原告が昭和五〇年二月分の先払賃料の遅滞を理由に同年五月二一日本件公正証書に基づき原告所有の有体動産に対し強制執行をした。

4  しかし、原告は昭和五〇年一月三一日に二月分の賃料を支払つた。

5  仮に支払つてなかつたとしても、原告は被告に対し、敷金二〇〇万円の返還請求権を有するので、昭和五一年三月三一日の本件口頭弁論期日において、右債権を以て右賃料債権とその対当額において相殺する旨の意思表示をした。

よつて本件公正証書の執行力の排除(全体の執行力の排除が認められないときは昭和五〇年二月分賃料についてのみの執行力の排除)を求める。

二  請求原因に対する答弁

1  請求原因1項の事実は認める。

2  同2項のうち訴外延澤が被告会社代表者の委任を受けて、訴外延澤が被告会社代表者本人名義で公正証書の作成を嘱託したことは認めるが、そのことが公正証書を無効にするものではない。

3  同3項の事実は認める。

4  同4項の事実は、否認する。原告は昭和五〇年一月分までしか支払つていない。

5  本件賃貸借契約には、賃借人において本契約中において解除しようとするときは三ケ月前に文書を以て賃貸人に予告するものとし、予告なしで解除するときは三ケ月分の賃料を支払う旨の特約があるところ、原告は昭和五〇年二月一二日予告なく解除したから、二月分の賃料のみならず三月ないし五月分の賃料支払義務もあるから、敷金返還債務はない。

第三、証拠(省略)

理由

一、請求原因1項の事実及び被告会社の専務取締役である訴外延澤義郎が被告会社代表者谷澤栄一本人として公正証書作成の嘱託をしたことは当事者間に争いがない。成立に争いのない甲第一号証、乙第五号証、証人延澤義郎、同寺川徳治郎(一部)の各証言及び原告本人尋問の結果(一部)によると、訴外延澤は被告会社代表者谷澤栄一から原、被告間の本件賃貸借契約について公正証書作成嘱託の代理権を授与されていたが、かねて他との商取引や銀行取引について代理権を授与された場合も代理人名を表示することなく直接被告会社代表者名義の書面を作成していたところから、代理人であることを明らかにすることなく直接被告会社代表者と称して公正証書の作成を嘱託し、原告の代理人として公正証書の作成を嘱託した訴外寺川徳次郎もこれを知りながら、格別異議を述べなかつたため、公証人椎村透は同訴外人を被告会社代表者と信じて公正証書を作成したことが認められ、一部右認定に反する証人寺川徳次郎の証言及び原告代表者尋問の結果は、前記各証拠に照らし借信できない。

原告は本件公正証書は、公証人法三二条の規定に違背し無効である旨主張するが、同条は公正証書が債務名義として強力な効力を有するものであるところから、無権代理人が関与することを排除するためにもうけられた規定であることに鑑みると、本件のように本人のため公正証書の作成を嘱託した者が、真実代理権を有し、かつ執行認諾の意思表示をなした相手方においても代理人が直接本人名義で公正証書の作成を嘱託するものであることを知りながら格別異議を述べなかつたような場合にまで公正証書を無効にするものではないと解するのが相当である。

二、請求原因3項は当事者間に争いがない。原告は昭和五〇年二月分賃料を支払つた旨主張するが、これを認めるに足る証拠はない。

次に原告は敷金返還請求権をもつて右二月分賃料と対当額で相殺する旨主張するので判断する。建物賃貸借契約における敷金は賃貸借契約存続中の末払賃料のみならず契約終了後明渡義務履行までに生じた賃料相当損害金その他賃貸借契約により賃借人が負担する一切の債権を担保し契約終了後明渡時(明渡が先に履行された場合は契約終了時)に右債権を敷金から控除してなお残額があることを条件に、その残額につき敷金返還請求権が発生するものと解すべきであり、前記甲第一号証によると、本件賃貸借契約でもその第一六条において右の趣旨を確認していることが認められるので、そのように取扱うことにする。ところで成立に争いのない甲第一号証、同第八、第九号証(各一部)、乙第一、二号証、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によると、本件賃貸借契約は原告が被告会社から本件賃貸借の目的物件である工場を賃借し、被告に賃料を支払うことによつて被告会社の再建に協力する目的で締結するに至つたものであること、本件賃貸借契約には賃借人が本契約を解約するには三ケ月前に書面による催告を要し、予告なしで解約するには三ケ月分の賃料の支払を要する旨の特約があるところ、原告は契約締結後数ケ月して被告に対し賃料を三〇万円に減額するよう申し入れたが、被告の回答が六〇万円に止まつたため、昭和五〇年二月一二日書面による予告なしで解約する旨の意思表示をなし、同月一九日目的の建物を明渡したことが認められ、甲第八、第九号証の記載のうち右認定に反する部分は、右認定の本件賃貸借契約締結及び解約申入に至る経過に照らし措信できない。

前記争いのない請求原因1項の(一)ないし(四)の事実及び右認定の事実によると、本件賃貸借契約は昭和五〇年二月一二日から三ケ月を経過した同年五月一二日終了したことになり、原告は被告に対し、同年二月分賃料のほか同年三月分ないし五月分の賃料合計二六四万一、九三五円(但し、五月分は日割計算による)の支払義務を負うこととなり、本件賃貸借契約で交付された敷金二〇〇万円を超えること明らかであるから、原告は被告に対し敷金返還請求権を有しないことになる。そして右のように敷金が未払賃料に満たない場合、賃貸人においてどの未払賃料に充当するか任意に選択することができるものと解されるところ、被告が昭和五〇年二月分の賃料について執行していることに徴すると、被告はまず同年三月分ないし五月分の賃料合計一八六万一、九三五円について右敷金から充当したものとみることができる。そうすると、同年二月分の賃料のうち一三万八、〇六五円は右敷金から充当され、右同額の賃料債権は消滅したことになり、被告の本件公正証書による二月分の賃料のうち六四万一、九三五円をこえる強制執行は許されない(このような場合原告は敷金返還請求権は有しないとしても、未払賃料のうち一部に敷金を充当すべきことを主張して、六四万一、九三五円をこえる分について支払を拒絶することはできるわけであるから、原告の前記相殺の主張は右の主張をも含むものと解する。)

三、よつて原告の本訴請求は、本件公正証書による昭和五〇年二月分賃料のうち六四万一、九三五円をこえる部分の執行力の排除を求める限度で理由があるので、右の限度でこれを認容し、その余は失当として棄却すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条を、強制執行停止決定の一部取消、一部認可、その仮執行宣言につき同法五六〇条、五四八条一、二項を適用し、主文のとおり判決する。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例